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2023年5月21日(日)
説教:「塩の柱」
聖書:創世記19:15~26
神は、ソドムとゴモラの町が滅ぼされる時に御使いを送りロトとその妻や娘たちに逃げるように指示した。≪命がけで逃れよ、後を振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山に逃げなさい。さもないと、滅びることになる。≫(17節)ところが、ロトの妻はもう少しで逃げ切ると言うところで、後を振り向いてしまう。すると彼女は「塩の柱」になってしまった。何故彼女は、後ろを振り向いたのか?
ロトの妻は、町に残した家財、名誉に心残りを覚えたのではないかと言われる。過去にこだわり続けて生きたいと願ったのではないか。ルカ福音書17章に「ロトの妻のことを思い出しなさい。自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである」と。ロトの妻には名前が出てこないが、その理由はこの世のものに未練のある生き方の象徴として、ロトの妻があると言われる。「塩の柱」は無益な人生になってしまうと言う出来事の象徴として見られるが・・・。ただそうは言っても、何か腑に落ちない。何故、ロトが塩の柱にならずに、妻なのかと。
一色義子著『エバからマリアまで―聖書の歴史を担った女性たち―』の中で、「彼女が神様の戒めをおろそかにしたということは確かに否めないが、わが身が安全だと気づいたその瞬間、思わず愛する者の姿が心に浮かんだのではないか」とする。この「愛する者の姿」とは、あのソドムに置いて行くしかなかった嫁いだ娘たち、その婿たち、そしておそらく居たであろう孫たち。14節、ロトは嫁いだ娘たちの婿のところへ行き、ここから逃げるように促すも、「婿たちは冗談だと思った」と記されている。
一色氏は、そういう背景の中で「ロトの妻は、あの硫黄の火が降るソドムに嫁いだ娘たち、頑固にも神様の警告を無視した婿たちのゆえに、孫もろとも一家が破滅するそのさまに耐えられなくて、思わず、痛ましい思いと愛の心で、家族を思って振り返ったのではないか」と言う。その視点で見て行く時、あの「塩の柱」とは、世の蔑まされてきた名も無き女性たちの悲しみ、憎しみ、そして優しさ、愛がその「塩の柱」に象徴としてあるのではないかと思わされる。
後を振り向きたくなることはある。悲しみや憎しみを思い起こすことはあるもの。「塩の柱」には、そのような象徴がありつつ、されどそこには、見えない愛と優しさがあることも覚えたい。
(神谷)
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米軍基地を抱えるこの沖縄は、「戦後」78年、「復帰」51年が経過しようとするにもかかわらず、基地から派生する事件事故が絶え間なく起き、常に命が危険に晒され人権が軽視され続けています。
2012年のオスプレイ強行配備には、多くの県民が抗議の声を上げ、普天間基地ゲート前の座り込み、シュプレヒコールがなされました。この状況に“私も参加したい”と思っておられるキリスト者も少なくはなかったことでしょう。その思いを踏まえて、普天間基地ゲート前でゴスペルを歌い、抗議のかたちを表し続けています。また、月に一度は辺野古ゲート前でもゴスペルにて抗議を行います。
主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。(イザヤ書2章4節)
<行動開始2012年10月29日~>毎週月曜日pm6:00-7:00(※状況によって早めに終える場合あり)
2023年の実施期間:1月16日~12月11日
(普天間基地 野嵩ゲート前に集合)
・主催:普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会
E-Mail:futenma.bap@isp.okinawa.jp
「普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会」
ブログへのアクセス:http://futenmagospel.ti-da.net/