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2022年5月1日(日)
説教:「主の晩餐」
聖書:コリントの信徒への手紙一11:17~26
「主の晩餐」は、イエスの十字架と復活の出来事を想起することである。また、イエス・キリストの「十字架」「死」は、私たちに≪多くの実を結ぶ≫(ヨハネ12:24)もののためであり、≪わたしたちが生きるようになるため≫(ヨハネの手紙一4:9)のものであると聖書は記す。 このイエスによる最後の晩餐の時に共に食事をしたのは、弟子たちであった。弟子たちはこの後、イエスを裏切り、イエスを置いて逃げ去ることをご存知でありながら、イエスは弟子たちと食事を共にする。そして復活後も逃げ去る弟子たちに現れ食事を共にする。この「主の晩餐」には、そういう弟子たちの裏切りも伴いながら、されど弟子たちと共に食事をなさる主イエスがおられる。
「主の晩餐式」は月に一度巡って来る。私たちが感謝に満ち溢れている時だけ巡ってくるわけではない。試練の時も、失敗を犯して自分の罪深さをいやというほど思い知らされている時にも、主の晩餐式は巡ってくることもあろう。そんな時、「こんな私がパンを取っていいのだろうか、杯を飲んでいいのだろうか」と思うことがないか。主の晩餐は、決して私たちの側が気持ちで取る、取らないではない。主の定めで主イエスの側から≪これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい≫と言われ、「さあ、取って食べなさい」「あなたが今、私を裏切ることを知っている」「あなたが神を見失っていることを知っている」それでも主は、「さあ、取って食べなさい」と言う。そこに気づかされる時、「主の晩餐式」は、私たちの側に悔い改めを起こし、感謝と慰めに満ち、希望と勇気が与えられて行くのではないか。
ただ、私どもの普天間バプテスト教会では、バプテスマを受けておられない方は、その晩餐式に預かることはできないとしている。しかし、いつの日かご一緒に「主の晩餐式」に預かることが出来ればと心から願う。バプテスマは、何も難しいことではない。ペーパー試験をするとか、聖書を十分理解してからとか、そういうものではない。もし、そうであれば、私も含め、ここに「主の晩餐式」に預かれるものはほぼいないであろう。バプテスマはキリスト者として歩むスタート・ラインに立つことである。是非、バプテスマが与えられることを願ってやまない。
「主の晩餐式」が行われる時、イエス・キリストご自身が、今ここに、この晩餐式に共に居られるということである。
(神谷)
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2012年のオスプレイ強行配備には、多くの県民が抗議の声を上げ、普天間基地ゲート前の座り込み、シュプレヒコールがなされました。この状況に“私も参加したい”と思っておられるキリスト者も少なくはなかったことでしょう。その思いを踏まえて、普天間基地ゲート前でゴスペルを歌い、抗議のかたちを表し続けています。また、月に一度は辺野古ゲート前でもゴスペルにて抗議を行います。
主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。(イザヤ書2章4節)
<行動開始2012年10月29日~>毎週月曜日pm6:00-7:00
2022年の実施期間:1月10日~12月12日
(普天間基地 野嵩ゲート前に集合)
・主催:「普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会」実行委員会
連絡先:098-894-0199(FAX兼)
「普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会」ブログへのアクセス :http://futenmagospel.ti-da.net/