- トップページ
- > 説教・お知らせ
2023年3月19日(日)
説教:「ゆるし」
聖書:マタイによる福音書18:21~35
弟子のペトロは「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか」と尋ねた。ペトロの「七回までですか」とは、相当頑張ってのことかと思う。しかしイエスは、「七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」とお答えになった。「赦し」には、限度を設けてはならないということ。
もし、私たちの罪が七回までだったら赦されるという限定された「赦し」ならどうなるか? 私たちが人を赦す時の七回というのは、非常に忍耐がいて何とか赦してやろう・・・七回までだぞ!と力がこもるかと思う。しかし、私たち自身が七回までの限定された赦しならすぐにその七回目がおとずれ、罰せられてしまう者ではないか。ここの七の七十倍の赦しとは、限度を設けない赦し、イエス・キリストの私たちへの“赦し”に他ならない。
私たちには、人を赦すという力もなく、罪を犯さないという聖さもない者。そのような私たちを、主イエスは「赦す」とおっしゃる。
23節以下で一つの譬話がある。まず1万タラントンの負債をしている者が赦されるという事が出て来る。この数字は個人が抱える額では有り得ない。日本円に換算すると、3千億~6千億円にもなる。これは一県、あるいは国家予算にも相当する金額。当時のイエスの居られたガリラヤ地域は、領主ヘロデの領土でローマ皇帝にこびるように仕え、皇帝の赦しを伺いながら、ガリラヤ住民から税金を巻き上げていた。住民の多くが負債を抱えながら、貧しくされながら、生活をやり繰りして行く。また、百デナリオンの負債を抱えた人は、50万円から百万円程度。まさに個人レベルの負債ということ。自分は皇帝にこびり、皇帝のゆるしを伺いながらも、民の負債をゆるさない状況がこの時代の背景にあったということ。
イエスはそういう現状に対しては厳しい言葉をもって叱責するわけだ。
今の私たちの社会情勢はどうか?沖縄を見る限り、決して住みよいとは言えない。基地負担が県外と比べて余りにも重く課せられた状況は、到底平等とは言えない。主イエスの視座には、貧しくされた側にあることを覚え、励ましと勇気を頂いて行きたい。
聖書は、私たち一人ひとりへ赦しが与えられている事を語り、七の七十倍の赦し、限度の無い赦しが与えられていること。それは同時に、赦されるという経験をしながらも、その生き方を変えられない状況に対するイエスの叱責もまたある。主の赦しには、人の生き方、この世のあり方への問いがある。
(神谷)
■過去の説教(バックナンバー)
普天間バプテスト教会、過去の説教はこちらからご覧いただけます。タイトルをクリックするとPDFが表示されます。
- 2023.03.12
- 「あなたはメシア、生ける神の子です」聖書:マタイによる福音書16:13~20
- 2023.03.05
- 「宣教‐キリストのこころで仕える働き」聖書:マタイによる福音書28:16~20
- 2023.02.26
- 「イエスの怒り」聖書:マルコによる福音書3:1~6
- 2023.02.19
- 「癒されること、共同体で生きること」聖書:マルコによる福音書2:1~12
- 2023.02.12
- 「求めよう主に!主の幻を」聖書:使徒言行録2:17
- 2023.02.05
- 「幸い」聖書:マタイによる福音書5:1~12
- 2023.01.29
- 「祈りは日々の生活の中から」聖書:ルカによる福音書11:1~13
- 2023.01.22
- 「海人(うみんちゅ)(漁師)の誇りを捨てたのではない」聖書:マタイによる福音書4:18~25
- 2023.01.15
- 「押されっぱなしの人たちと共に」聖書:マタイによる福音書4:12~17
- 2023.01.08
- 「光あれ」聖書:マタイによる福音書7:7~12
- 2023.01.01
- 「求めなさい。そうすれば与えられる」聖書:マタイによる福音書7:7~12
- 2022.12.25
- 「不安は希望へ」聖書:マタイによる福音書2:1~12
- 2022.12.18
- 「夜明け前」聖書:ルカによる福音書2:1~7
- 2022.12.11
- 「その名はインマヌエルと呼ばれる」聖書:マタイによる福音書1:18~23
- 2022.12.04
- 「わたしの家、わたしの教会―すべての多様性を尊重する―」聖書:イザヤ書56:1~8
- 2022.11.27
- 「傷ついた葦を折ることなく」聖書:イザヤ書42:1~9
- 2022.11.20
- 「福音の種をまこう」―世界バプテスト女性祈祷日を覚えて―聖書:マルコ福音書4:1~9
- 2022.11.13
- 「わたしにつながっていなさい」(子ども祝福式)聖書:ヨハネによる福音書15:4~5
- 2022.11.06
- 「小羊に導かれて」聖書:イザヤ書40:1~11
- 2022.10.30
- 「問いかけるイエス」聖書:ルカによる福音書15:1~7
- 2022.10.23
- 「神に問い、神に問われて」聖書:ヨブ記42:1~17
- 2022.10.16
- 「主の食卓を囲み」聖書:マルコ福音書8:1~6、14:22~26
- 2022.10.09
- 「神を仰ぎ見る」聖書:ヨブ記19:1~29
- 2022.10.02
- 「疑念と信頼」聖書:ヨブ記2:1~13
- 2022.09.25
- 「サムソンの力は神のもの」聖書:士師記15:9~20
- 2022.09.18
- 「共に生きる知恵」聖書:ルカによる福音書12:13~21
- 2022.09.11
- 「主の御前に祈る」聖書:士師記11:1~11
- 2022.09.04
- 「信仰は受け継がれていく」聖書:士師記2:16~23
- 2022.08.29
- 「善をもって悪に勝ちなさい」聖書:ローマの信徒への手紙13:1~7
- 2022.08.21
- 「平和をあきらめない」聖書:ルカによる福音書18:1~8
- 2022.08.14
- 「教会と隣人」聖書:ローマの信徒への手紙15:1~6
- 2022.08.07
- 「福音は神の力」聖書:詩編85:9~14、ローマの信徒への手紙1:16~17
- 2022.07.31
- 「命の息をいただいて」聖書:創世記2:4~9
- 2022.07.24
- 「怒れるイエス」聖書:マルコによる福音書11:15~19
- 2022.07.17
- 「ひとりの大切さ」聖書:ルカによる福音書8:26~39
- 2022.07.10
- 「恵みと慈しみ」―2022年度 召天者記念礼拝―招詞:ペトロの手紙―1:23~25 聖書:ヨブ記1:21、詩編23:1~6
- 2022.07.03
- 「洗礼(バプテスマ)の恵み」聖書:ローマの信徒への手紙6:1~14
- 2022.06.26
- 「平和のパン種」聖書:ルカによる福音書13:18~21
- 2022.06.19
- 「平和をつくり出す人々」―6・23「沖縄慰霊の日」を覚えて―聖書:マタイによる福音書5:9
- 2022.06.12
- 「神の前に留まりなさい」聖書:コリントの信徒への手紙―2:1~5
- 2022.06.05
- 「十字架の慰め、励まし」聖書:コリントの信徒への手紙―2:1~5
- 2022.05.29
- 「平和は足元から」聖書:創世記4:1~16
- 2022.05.22
- 「十字架の言葉は“神の力”」聖書:コリントの信徒への手紙―1:18~25
- 2022.05.15
- 「教会はどこに建っているか」聖書:マルコによる福音書6:53~56
- 2022.05.01
- 「主の晩餐」聖書:コリントの信徒への手紙―11:17~26
- 2022.04.24
- 「水と生きる力」聖書:詩編63:1~12
- 2022.04.17
- 「さあ、共に生きよう」聖書:ヨハネによる福音書21:1~14
- 2022.04.10
- 「イエスは自ら十字架を背負う」聖書:ヨハネによる福音書19:17~30
- 2022.04.03
- 「みたび我が主をいなむ」聖書:ヨハネによる福音書18:15~27
- 2022.03.27
- 「ただ主のみを神として」聖書:コリントの信徒への手紙一10:1~13
- 2022.03.20
- 「ヒゼキヤのトンネル」聖書:歴代誌下32:1~8
- 2022.03.13
- 「ただ主のみを神として」聖書:コリントの信徒への手紙-10:1~13
- 2022.03.06
- 「見分けること、聞き分けること」聖書:ヨハネによる福音書9:35~10:6
- 2022.02.27
- 「わたしもあなたを罪に定めない」聖書:ヨハネによる福音書8:1~11
- 2022.02.20
- 「神を愛し、人を愛し、命を愛す」聖書:出エジプト記1:15~21
- 2022.02.13
- 「わたしは命のパンである」聖書:ヨハネによる福音書6:6:41~59
- 2022.02.06
- 「命のパンを頂こう」聖書:ヨハネによる福音書6:1~15
- 2022.01.30
- 「バラバラに、しかし共に」聖書:創世記11:1~9
- 2022.01.23
- 「主の言葉を信じて」聖書:ヨハネによる福音書4:46~54
- 2022.01.16
- 「祈るときには」聖書:ルカによる福音書11:1~13
- 2022.01.09
- 「その水をください」聖書:ヨハネによる福音書4:1~26
- 2022.01.02
- 「最初のしるし」聖書:ヨハネによる福音書2:1~11
米軍基地を抱えるこの沖縄は、「戦後」78年、「復帰」51年が経過しようとするにもかかわらず、基地から派生する事件事故が絶え間なく起き、常に命が危険に晒され人権が軽視され続けています。
2012年のオスプレイ強行配備には、多くの県民が抗議の声を上げ、普天間基地ゲート前の座り込み、シュプレヒコールがなされました。この状況に“私も参加したい”と思っておられるキリスト者も少なくはなかったことでしょう。その思いを踏まえて、普天間基地ゲート前でゴスペルを歌い、抗議のかたちを表し続けています。また、月に一度は辺野古ゲート前でもゴスペルにて抗議を行います。
主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。(イザヤ書2章4節)
<行動開始2012年10月29日~>毎週月曜日pm6:00-7:00(※状況によって早めに終える場合あり)
2023年の実施期間:1月16日~12月11日
(普天間基地 野嵩ゲート前に集合)
・主催:普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会
E-Mail:futenma.bap@isp.okinawa.jp
「普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会」
ブログへのアクセス:http://futenmagospel.ti-da.net/